「きれいなものだけ食べなさいと言われた」…食欲の多様な形態、欠乏と強欲の間
ユーチューバーのオマルが、食欲(食い意地)が引き起こす様々な行動パターンと、その背後にある心理について自身のチャンネルで紹介した。

食べ物に対する態度は、時にその人の性格や価値観を映し出す鏡となる。単に食べ物が好きというレベルを超え、食事の席での行動が周囲の人々に当惑を与えたり、関係の不協和音を生んだりする場合がある。ユーチューバーのオマルが最近自身のチャンネルを通じて紹介したあるエピソードは、「食欲(食い意地)」という感情がいかに多様な形態で現れ得るかを示している。
「大事に食べようとして、結局残してしまう」…義理の娘の理解しがたい食事法
オマルが伝えたエピソードによると、ある義理の娘の食習慣が、義理の姑の心を重くさせたという。エピソードの主人公は、地方にいる母親を訪ねてきた義理の娘と一緒に食事をしていた際、母親が感じた当惑を伝えた。母親は料理をすることを楽しみ、食べ物を美味しそうに食べる人々を見ることに幸せを感じる性格だが、今回の食事の席では大きな失望を感じたという。

問題は食べ物への向き合い方だった。義理の娘は、海鮮蒸し料理やカルビ蒸しのようなメイン料理が出てくると、それを取り皿に山盛りと移しておきながら、実際には食べずに他の副菜に集中した。特にカルビ蒸しが好きだと言って一つ二つ取り分けて食べる一般的な姿とは異なり、一度に大量の量を自分の皿に移しておく習慣があった。しかし、肝心のメイン料理には手も付けず、卵焼きやうずらの卵のような副菜を一人で半分以上平らげてしまう姿が繰り返された。
このような行動の理由は、意外にも単純だった。「好きな食べ物を大事に食べようとして、後で食べるから」だという。しかし、大事に食べようとしたメイン料理は、すでに他の副菜でお腹がいっぱいになり、結局残されてしまう。オマルの分析によれば、これは食べ物を自分の皿に「確保」したという安心感が生まれることで目が他の食べ物に向いてしまう、一種の「故障した食欲」の形態だ。食べ物を大事にしようとする意図とは裏腹に、結果的には食べ物を浪費し、共に食事をする人々の分まで奪ってしまう結果を招くのである。

欠乏から生じる食欲、そして「きれいなものだけ食べなさい」という衝撃的な回答
オマルは、このような食欲が単なる食習慣の問題を超え、幼児期の内的な欠乏と結びつく可能性があるとの見解を示した。食べ物を食べる瞬間に理性が働かず、目の前の食べ物に没頭してしまう現象は、個人の欲求を調節できない姿として映り得るからだ。特に、食べ物を用意してくれた人への配慮が不足しているように見える点は、家族関係を形成しようとする段階において大きな障害になり得ると指摘した。
食欲の形態は、この他にも多様に現れる。オマルは自身が過去に経験した逸話を交え、すべてのメニューを食べ尽くさないと気が済まない人の事例を挙げた。トッポギとおでんを食べたくて粉食店(プンスッチム)に行ったが、実際にお腹がいっぱいになると残った食べ物をそのまま捨てて出てくる場合だ。これは「今日自分が食べたいものはすべて食べなければならない」という強迫的な欲求が作用するためである。また、キムチチヂミのカリカリした部分だけを選んで食べ、小麦粉の部分は残しておく行為や、キンパの端の部分を飛ばして真ん中の部分から食べるといった行動も、周囲の人々に当惑を与える特異な食欲の例として言及された。
この過程でオマルは、キンパを真ん中から食べるという女性の言葉に対し、「お母さんが、私はきれいなものだけ食べなさいと言ったの」と答えた衝撃的な逸話を付け加え、食欲が時には常識外れの論理で正当化されることもあるという点を、ユーモラスかつ鋭く解き明かした。
食べ物への執着が「楽しみ」になるとき
すべての食欲が否定的なものばかりではない。オマルは食欲の「肯定的なバージョン」についても言及した。食べ物をより美味しくするためにコンビニの材料を持ってきてチゲに入れてみるなど、自分だけのレシピを完成させるために没頭する姿は、周囲の人々に楽しみを与えることもある。これは単に食べ物を占有しようとする強欲ではなく、味を最大限に引き出そうとする情熱と共有したいという気持ちが込められた「創造的な食欲」だからである。
結局、食欲とは食べ物に向き合う個人の欲求と、他者との調和の間で発生する問題だ。食べ物を確保しようとする欲求と、分かち合おうとする配慮の間のバランスが崩れるとき、食事の席は楽しみではなく葛藤の場になり得るということを、今回のエピソードは示唆している。
ハン・アルムはNBNTV Globalの記者として主にK-バラエティを担当し、K-POP、K-ドラマの記事も執筆しています。
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